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ぼくは日本を離れイギリスに向かった。
それはバックパックを背負った旅ではなく、日本の日常の舞台をイギリスの日常にするために向かったためだった。
期間は1年間。今でこそイギリスにはワーキングホリデービザで長期滞在できるが、当時はそれもなく長期滞在するのは難しい時代だった。
ぼくはよくある学生ビザを取得せずに、あまり聞きなれないボランティアビザを取得してイギリスにやってきた。
日本にある斡旋会社に数十万円手数料を払い、ボランティアとして活動する場所の提供を紹介してもらう。
今でこそ英語は苦もなく話せるけれど(決して流暢じゃないけど)、当時は英語恐怖症というか単語を繋いで繋いでコミュニケーションするほどの英語力のなさだった。
そのためにいきなりボランティア施設に行っても迷惑になるだけなので、斡旋会社が経営している英会話学校に1ヶ月通うことになる。
社会人から学生へ。
だけどこの1ヶ月の学生生活はむちゃくちゃ楽しかった。
初めて価値観の違う人たちに囲まれ、初めて日本語以外の言語で生活し、見知らぬ土地を歩き回る。
日本で育ってきた感覚が異国ではまったく当たり前じゃないということに気づかされる。
何も知らないことは悪いことじゃない。
ただ知ろうとしないこと、そして自分の考えが当然だと思うこと、それが間違っているということに気づく1ヶ月だった。
語学学校にはアジア系、ヨーロッパ系のたくさんの生徒がいた。
ぼくは学校初日に隣に座っていた中国人男性とすぐに仲良くなった。
海外を旅すると分かるけれど、日本人のほとんどは欧米系よりアジア系の人たちとフィーリングが合う。
これは間違いなくそうだと言い切れる。
ぼくは彼に会うまで中国というワードだけで何か構えてしまうものがあった。
知ろうとしないという姿勢がそうさせていた。
中国を、中国の人を知ろうとしないこと。
TVや雑誌で溢れている中国のことがぼくの頭の中を占めていた。
そしてその考えが当然だと疑いもしなかった。1ミリも。
でも中国人の彼との出会いを通してぼくはぼく自身を俯瞰するようになった。
良い意味で。感情が自分から切り離されたというわけじゃなく。
俯瞰して、つまり一旦自分で考えて答えを出すようになった。
すごく良いやつだった。考えられないくらい良いやつだった。
いきなり親しくなった。距離を置くという概念がないんじゃないか、という感じで一気に親しくなった。
日本人同士では考えられないくらいの距離の詰め方だった。
初日に家に来い、と言われた。
イギリスのこと、すべて教えてやると。
そして本場の餃子を作ってやる、とww
彼はイギリスに来て半年。ぼくは来たばかり。
ぼくは英語力もまったくなく、ほぼ聞き役だった。しかも聞き取れないことばっかりだったけど。
でも結局そんなの関係なかった。
フィーリングが合うかどうか。相手が心を開いてくれてるかどうか。
それがすべてだった。
それから毎日毎日彼と遊ぶようになった。
彼はイギリスで事業を起こしたいと。ぼくはちょこっと英会話学校で英語を勉強して、そんなに強い意志でボランティアをするわけじゃなかった。
はなから立場が違ったんだけど、彼はいつでもぼくを応援し、励まし、助けてくれた。
日本人ではなく、中国人の彼が。
そのときからぼくは人をフラットで見るようになったし、相手から必要とされる人間になりたいと考えるようになった。
その想いはその後のボランティア活動を通して、さらにさらに強い意志として形成されていった。